論語における顔回の記述について

枠が残っているので12/11の数物セミナーアドベントカレンダーの記事として、これを出します。

思うところがあって久しぶりに、論語の記述を確認し、ついでに、目につくところを拾い読みしていていたら、顔回の話が目につき、面白いと思ったので、顔回の登場箇所だけ拾い読みしました。面白いので、皆さんに共有したいと思います。この記事は、論語のネタバレを含むので、注意する人は注意してください。

論語は、言わずと知れた全人類必読の書です。「一を聞いて十を知る」など、現代の語彙に取り入れられているものも多くあり、日本の文化の基盤となっているものの一つであります。しかもめちゃくちゃ面白い。基本的に孔子の言行録なので、孔子の思想というとても素晴らしいものに加えて、孔子の口の悪いところとか、弟子への優しさとかもあって、読めば読むほどに、味の出る書です。1回目ではわからなかった面白さが、何度も読むうちにどんどん発見されていく、そんな魅力の詰まった書です。引用以外は、必ずしも正しい解釈ではないと思いますが、論語はめちゃくちゃ面白いということを知って欲しいので、この調子で書きます(真面目に引用するのが面倒だったのもある)。

真面目に読みたい人は、まず加地伸行氏注の講談社学術文庫から出ている論語を読んでください。この記事の書き下し文の出典はすべてこの本です。索引なども充実しているので、顔回の話だけを探して読んだりすることもできます。

みんなも必読の書、論語に入門しよう!

では、本論に入っていきましょう。

顔回のところだけ拾い読みしようと思ったのは、次が面白かったからです。

子曰く、吾 回と言う。終日違わずして愚なるが如し。退いて其の私を省みれば、また以て発するに足れり。回や愚ならず。

回は顔回のことです。本当に光景が目に浮かんできますね。こっちは、一生懸命話をしているのに、聞いている方は、なんか同意はしているみたいだけど、本当にわかってるかと不安になってしまったんですよね、孔子も。で、帰ってから色々考えたんだけど、あいつ俺の言ったこと全部やってるし、発展させているところもあるよなあ、と。なんか話してると、こいつ大丈夫かと思うけど、本当はめっちゃ賢くて全部わかってんねんなあ、と。

稀にいますよね。こういうお茶目な人。話してて秀才感全然ないのに、やらせてみるとめっちゃできる顔回は、そういう人だったのです。

子、子貢に謂いて曰く、汝と回と孰(いず)れか愈(まさ)れる、と。対えて曰く、賜や何ぞ敢て回を望まん。回や、一を聞いて以て十を知る、賜や、一を聞いて以て二を知るのみ、と。 子曰く、如かざるなり。吾と汝と如かざるなり、と。

これが一を聞いて十を知るの出典でもあるわけですが、他の弟子にも「俺なんて全然及ばん。俺は一を聞いて二を知るくらいやけど、顔回は一を聞いて十を知る。」と絶賛されています。しかも孔子も、「ワイもや。」って言ってしまってるんですよ。孔子も舌を巻く秀才、顔回というわけでアツくなてきました。これからの顔回の活躍が楽しみといったところです。本当に孔子顔回の秀才具合に惚れてしまってるわけですよね。そもそも、自分も全然敵わへんというのわかっていて、弟子に顔回と君とどっちが優秀なんやって聞くのは、どうかと思いますよね。きっと子貢も、なんでそんなわかりきってること俺に行くねんと思ったでしょうし、さらに孔子の返答を聞いて、フォローしてくれるわけでもなく、私も君も顔回には敵わないとか言って、本当にこの人は何したかったのだろうと思ったことでしょう。そんなのは、孔子の勝手ではあるのですが。

しかし顔回は、孔子より先に29歳の若さでこの世をさります。その時の孔子の嘆き様はすごいものがありました。

顔淵死す。子曰く、噫(ああ)、天 予(よ)を喪(ほろ)ぼせり、予(よ)を喪(ほろ)ぼせり、と。

顔淵は顔回のことです。天は自分自身を殺したとまで言って嘆いたのです。孔子顔回に対する期待というのがどれほどであったかがわかります。

今まで紹介した部分でも分かるとおり、顔回は、孔子門下の中でも一目置かれる存在でした。その顔回を葬る場面が次です。

顔淵死す。門人厚く之を葬らんと欲す。子曰く、不可なり、と。門人、厚く之を葬る。子曰わく、回や、予を視ること猶父のごとくす。予は視ること猶子のごとくすることを得ず。我に非ざるなり。夫の二三子なり。

孔子顔回を自分のこの様に可愛がっていて、親子の様な関係であったとさえ思っていたこともわかります。しかし手厚く葬ることを孔子は止めました。顔回の立場になって考えたのしょう。それにもかかわらず、他の弟子たちは、手厚く葬ってしまいました。孔子の思いも、他の弟子の思いもわかるところではあります。しかし、孔子としては、どうしても原則通りにしたかった。親や自分より早く死んだ顔回に対する想いが溢れています。

孔子が、ずっと可愛がっていた秀才顔回。話をするたびに、その能力に感心するという感じだったのでしょう。孔子の人間味あふれるエピソードと、惜しみ無い賛辞から、二人の関係性が窺えます。本当に心を熱くさせられます。

他にも顔回についての記述はありますが、今回は省きました。顔回の秀才エピソードと孔子との絆の物語は、ぜひ本を手に取ってご確認ください。

このように、論語は、涙あり、笑いあり、学びありのスーパーおもしろ本でありますから、皆さん、読みましょう!